ビル・ゲイツ氏も訪れた世界的に貴重な博物館「目黒寄生虫館」

東京・目黒にある「目黒寄生虫館」は、寄生虫を専門とする世界でも非常に珍しい博物館です。寄生虫の研究と地域社会への啓蒙を目的として、医学博士の亀谷了氏によって1953年に設立されました。

入館者数は年間約5万人と言われます。

中に入ると、人や生物に感染する寄生虫のホルマリン漬け標本瓶がずらりと並び、一目見ただけではグロテスクに見えるかもしれません…。しかし寄生虫の神秘やナゾに触れてみたい人にとってはおそらく最高の場所となるでしょう。

目次

知る人ぞ知る博物館

目黒駅から目黒通りを東横線都立大学駅方面へ直進して約12分、商店街を通り抜けるとお目当ての目黒寄生虫館に到着します。まさに知る人ぞ知る博物館という感じですよね。

建物が街の景観に溶け込んでいるため、注意しないと行き過ぎてしまうような感じもありますよね。博物館の展示スペースはビルの1階と2階なのですが、それにしても狭い……。博物館としては異例のコンパクトスペースと言ってもいいでしょう。

しかし展示されている寄生虫の標本や貴重な資料はまるで宝の山のようです! 世界広しといえども、これほど人や動物に生息する寄生虫について本格的に研究を重ねて、専門的な見地から資料を提供している博物館はないでしょう。

寄生虫感染のシステムを啓蒙

寄生虫罹患者の説明と写真等のパネル

1953年に医学博士の亀谷了氏が当館を創設した頃は、潜在的に日本中で寄生虫感染のリスクがある時代でした。

それから半世紀以上が経過して、今の日本では人に寄生虫が感染するという話はほぼ聞かなくなりました。しかし世界に目を向けると、寄生虫がまん延している国はたくさんあるようですね。

そういえば、自分がまだ小さかった1970年代頃は、今よりも衛生面ではアバウトだったためなのか、そこら中でサナダムシの話が出ていましったけ……。

記録を見ると当時は国民の40%に寄生虫が感染して体内で共生(?)していたようですね……。

水洗トイレの飛躍的な普及や、衛生面での見直しがされてきたのも大きいのでしょう。今は学校のぎょう虫検査も廃止されましたし、ずいぶん衛生的になってきたなあ……と改めて感じます。

ところでこの博物館の最大の見ものは、全長8.8mにも及ぶ日本海裂頭条虫(サナダムシの一種)です。

こんなに長いサナダムシが、よくぞ人間の体内で成長したものだと驚きを隠せませんが、それより宿主(?)の体調はどうだったのでしょうか……? ちょっと気になるところですよね。

人間に住みつく寄生虫の種類と部位の解説

コロナ禍の危機を乗り越える

1階展示スペースにあるホルマリン漬けされた人の寄生虫の標本

目黒寄生虫館の入館料は基本的に無料です。ただし展示室1階の募金箱で寄付を募るというスタイルは採用していました。

「教育や啓蒙でお金を徴収してはならない」という初代館長の意思を受け継いで見学は無料。同館を運営する財団の資産運用の収益や館内で販売しているグッズの収益、寄付金などを運営資金として充てていたそうです。

しかし2020年3月からの新型コロナウイルスの感染拡大は運営の危機に直面することとなりました。 同館も3月から約3か月にわたって臨時休館。

再開後も来館者が減少したため、寄付金やミュージアムショップの売上は大幅な減収となりました。

そこで目黒寄生虫館では500万円を目標とする寄付を呼びかけました。しかし最初の2年はなかなか寄付が集まりにくかったといいます。

そんな中、2022年の8月にマイクロソフト創業者のビル・ゲイツさんが訪れます。当時感染症対策に取り組んでいたゲイツさんが、自身のサイトのビデオ撮影のために訪問したらしいですね。「世界一長いとされるサナダムシを見た」とツイートすると、翌日寄生虫館のHPのアクセス数が大きく跳ね上がったそうです!

翌日、熱心なファンからの寄付の呼びかけがあると、それから数日で、600万弱という目標額を大きく上回る寄付が寄せられたのでした。 

このことからも、かつて見学した人など、目黒寄生虫館を愛し、博物館の趣旨に好意的な人がどれほど多かったのかという表れでもあるのでしょう。

【窮地の“寄生虫博物館”】コロナ禍で来館者減少
救ったのはビル・ゲイツ氏・日テレNEWS

貴重な標本・資料

山口左仲(1894年-1976年)が論文などの
執筆時に使用した寄生虫の原図の一部

目黒寄生虫館は、寄生虫の分類、形態、生態などをテーマに、人体との関わりや寄生虫のさまざまな姿を標本と資料で紹介しています。

1階の展示室では、自然界のさまざまな寄生虫の循環の過程がくわしく解説されていました。2階は人間に感染する寄生虫がテーマとなっています。

人に感染する寄生虫はたくさんあるけれど、そのほとんどは感染した鳥や魚、犬や猫などのペット、動物を通して人間に感染するといいます。つまり意外と身近に感染リスクはあるということですよね……。そう思うと展示ブースを見る眼もちょっとずつ真剣になってきました。

じっくり見ていくと展示されているどれもこれも、重要な標本と資料であることが凄く伝わってきます。

2階奥のスペースでは、寄生虫学者であり、医学博士・理学博士でもあった山口左仲(1894年-1976年)が1937年から1938年に発表した、魚に寄生する単生類についての論文(図版原図)がパネル展示されていました。

実に繊細で巧みに描かれた図版を、タッチパネルで拡大して見られるのも興味津々ですね。

沼田仁吉が制作した寄生虫のろう模型
寄生虫や昆虫のろう模型

ツツガムシや寄生虫の卵などの拡大ろう模型は、北里研究所の技師を務めていた沼田仁吉(1884~1971)が制作したものです。

沼田は、1911年にドイツで開かれた国際衛生博覧会に参加して、医学教育用のろう模型作りにすっかり魅了されたそうです。1953年の開館直後にろう模型が寄贈され、35点が所蔵されているそうです。

この博物館は寄生虫が人間の生活にどのように関わりを持ち、今後はどのように関わってゆくべきなのかを示唆してくれているようにも感じました。

また時間を作って、ゆっくり館内を見学してみようかと思っております。

おもな歴史

1953年医学博士・亀谷了が私財を投じて「目黒寄生虫館」を設立
1956年鉄筋コンクリート2階建てビルが竣工
1957年文部省より財団法人の許可を受ける
1958年三笠宮崇仁親王が来館
1960年高松宮宣仁親王が来館
1961年『日本における寄生虫学の研究』和文版第1巻の刊行
1964年『日本における寄生虫学の研究』英文版Vol.1の刊行
1976年亀谷了が紫綬褒章を受章
1986年サナダムシの一種である8.8メートルの日本海裂頭条虫の展示を開始
1987年亀谷了が勲三等瑞宝章を受章
1992年地上6階・地下1階のビル(現在の建物)が竣工
1993年リニューアルオープン
常陸宮正仁親王が来館
亀谷了『寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし』(ネスコ)を刊行
2001年東京都教育庁より、登録博物館の認定
2013年財団法人目黒寄生虫館が公益財団法人目黒寄生虫館に移行
2017年「小宮文庫」の一部が、国立感染症研究所から目黒寄生虫館に寄託
2022年ビル・ゲイツ氏が来館
目黒寄生虫館
「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より

博物館データ

名称公益財団法人 目黒寄生虫館
住所〒153-0064 東京都目黒区下目黒4丁目1−1
電車 JR山手線/東京メトロ南北線/都営三田線/東急目黒線下車、目黒駅西口より徒歩12分
開館時間水曜〜日曜 10:00ー17:00
休館日月曜・火曜日
TEL03-3716-1264
公式HPhttps://www.kiseichu.org
入場料無料
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