近頃ライフスタイルや価値観が多様化する中で、あらゆるところで「迷惑行為」というワードが頻繁に聞かれるようになりました。
迷惑行為とは、他人に対しての侮辱や嫌がらせ、生活の支障や妨げになるような行為を指します。おそらくほとんどの人は、「自分が迷惑行為を犯しているかもしれない」と考えることはないでしょうし、自覚もないでしょう。
しかし何気なくやっていた行動が、迷惑行為ほどでないにしても、実は他人を不快にするNG行動だったということもありえます。
そこで今回はNG行動はどのような時に出やすいのか、シーンごとに具体例をあげ、社会的な影響や深刻度を探ってみました。
NG行動と迷惑行為の違い
特別な定義があるわけではありませんが、とりあえずNG行動と迷惑行為の違いについて簡単にご説明いたしましょう。
大きな違いは迷惑行為には悪意や計画性があって、刑事事件に発展する可能性も少なくないということです。
NG行動 | 迷惑行為 | |
---|---|---|
行動の動機 | 悪意がない | 悪意がある・計画的 |
生活・社会への影響 | 少ない | 事例によっては大きい |
事件としての扱い | ほぼなし | あり |
電車内のNG行動
多くの人が利用する電車。電車は便利で使いやすいのですが、満席時や朝のラッシュ時はさまざまなトラブルが起きやすい時間帯です。
ストレスがかかる環境だけに、知らず知らずにNG行動を起こしてしまいがち。ここではよくあるNG例をとりあげてみました。
満員電車で足を組む
席が空いているときであれば、座席で足を組むのは何の問題もありません。しかし満席時に足を組むのは間違いなくお隣に座った人に迷惑がかかります。
それは足を組み替えたときに、隣の人のズボンを汚してしまうかもしれない恐れがあることです。
それだけでなくあなたが足を組んでいるがために、隣の人は足の位置が気になって終始落ち着かないかもしれませんよ……。
足の間にカバン類を置く
これは10代、20代の若い人に多いのですが、座席に座った状態で足元の間にカバン類を置く人が少なくありません。
カバンやショルダーバッグ類を足元に置く(もちろん仕方がない場合もあります)とどうなるでしょうか…。大体皆さん見当がつきますよね。
特に立錐の余地がない混雑時は、立ってる人にとって少しでも床面の空きスペースが欲しいところなのです。
しかし荷物を膝か網棚に上げられるはずなのに、床に置いて空きスペースを制限してしまうのは、近くに立っている人にとってかなりのストレスになるのは間違いありません。
バッグ類が隣の人にぶつかる
電車のつり革につかまって立っている人で比較的多いのが、肩にかけたバッグ類の角などが隣の人にぶつかっていることです。これは本人があまり気づいていないことが多いかもしれませんね。
しかし数十分の所要時間とはいえ、それを我慢しながら乗っているのは結構つらいものです。特に女性用のハンドバッグなどは紐の長さが短いため、注意しないと隣の人に接触する確率が高くなってしまうでしょう。
ハンドバッグは角張っている物もあるため、あたる部分次第ではケガをするリスクも高めてしまうので注意が必要です。
スマホを見ながら電車を降りる
スマホを見ながら電車を降りるのもよく見かける光景です。「えっ、そんなこと誰だってやってるじゃない!」と思う人……。これは大きな間違いです。スマホを見ながら電車を降りるのは立派なNG行動と考えていいでしょう。
「私ぐらいいいじゃない…」と思うかもしれませんが、後続のお客さんに大きな迷惑がかかります。特に電車がホームに到着してから出発までの停車時間は約30秒。この30秒の間に多くの人が降りなければなりません。
中には足腰が悪い人もいるでしょう。体調が悪くて身体が動かすのが大変な人もいるかもしれません。それを考えると一人がスマホに見入って降りるのに時間がかかってしまったら、後続の人はその分早く降りなければならないプレッシャーがかかってしまうのです。
電車内のNG行動 深刻度C
- 一時的に我慢すれば何とかなる
- 満員電車のときに問題が起きやすい
歩道通行時のNG行動
自転車を平気で走らせる
最近歩道で自転車を普通に走らせる人が増えてきたように思います。
それはそれでいいのですが、忘れて欲しくないのが歩行者も同じところを歩いていることに気づいてほしい…ということです。
本来歩行者と自転車は違うカテゴリーのはず……。スピードを出して走らせてくると思わず身構えてしまうこともあります。
自転車のほうで徐行をするとか、少し立ち止まるとかの気づかいがあってもいいはずですよね。そうでないと普通に歩いている人を危険にさらすことになってしまいます。
よけない日傘
最近紫外線が異常に強くなり、それが肌に良くない影響を及ぼすことが分かってきました。
健康・美容面からも「日傘を利用しよう」という声が日増しに高まっています。それはよく理解できます。
しかし問題は、どんなに反対方向から人が歩いてきても絶対によけないこと。狭い歩道を日傘を普通にさして歩くとどうなるでしょうか?
日本の歩道はどこに行っても狭い歩道が多いので、気になる人は気になるでしょうね……。
スマホを見ながら歩き続ける
スマホを立ち止まって見れば誰も文句をいいませんし、文句をいえません。しかし歩きながらスマホを見るから問題になるのです。
スマホの画面に見入ってるときは、当然周囲の状況より情報を追うことに集中しています。ですから危険極まりありません。しかも画面を凝視しながら早足で歩く人もいますよね……。
言うまでもありませんが、ながら歩行は思わぬ事故やトラブルを引き起こしてしまう要因となるので充分に注意しましょう。
通行スペースを空けない
狭い歩道を歩いたとき、反対方向からも人が歩いてくる場合があります。こんなときは、どちらかが一度立ち止まって待っているか、半身になって通りやすくするようにしなければならないですよね。
しかしどんなときも不動の構えで直進する人もいます。そういうときは気がついた人が相手を通りやすくしてあげなければなりません。
あらかじめ来るのが分かっていれば対処できますが、猛烈な勢いで走ってくる場合はとっさに避けなければならないでしょう……。
歩道通行時のNG行動 深刻度C
- 一時的に我慢すれば何とかなる
- 歩道の使い方に人柄が出やすい
オフィスでのNG行動
オフィスでのNG行動は相当に気をつけなければなりません。
なぜなら電車内や通勤時は見ず知らずの人がほとんどですが、オフィス内は絶えず行動を共にする人たちだからです。
迷惑行為が常習化すると、業務を行う上で深刻な影響を及ぼしたり、知らない間に孤立化する恐れもあるでしょう。ここでは特に気をつけるべき項目をあげてみました。
人を見下す
「人を見下す人」はプライドが高く、自分の非を認められない人が多いようです。自分が他の人に比べて優れていると信じて疑わない場合もあるし、周囲から一目置かれたいという場合も考えられます。
過去の自慢話が多かったり、素直に謝れなかったり、さまざまな場面でプライドの高さが円滑なコミュニケーションの邪魔をしてしまいます。 自分を客観視できないタイプといえるでしょう。
その反面、自分の能力を皆に認めさせたいと躍起になっているところも……。いわゆる劣等感の裏返しである可能性も高いのです。
デスクで爪切り
仕事中デスクで爪を切ると、多くの同僚の誤解を呼んでしまいます。同時に信頼を損ねてしまうでしょう。
それは「仕事中に何やってるの」というコンプライアンス的な疑問と、「衛生的にどうなの?」という不信感からです。
爪が周囲に飛び散るのは問題外として、同僚たちの集中力を切らすことは大きな問題となるでしょう。
ため息をつく
吐き出された「ため息」を、他の人が吸い込んでしまうと気分が悪くなる、落ち込むと言われることがあります。
それは負の感情やストレス、慢性疲労などが毒素のように排出されるからなのかもしれません……。
聞いているほうも辛いし、気が滅入ってしまいますので注意したいですね。
舌打ちをする
自分の思いどおりにいかなかったりすると、ついつい出てしまうのが舌打ちです。
もしかしたら自分の不甲斐なさに対する舌打ちなのかもしれませんが、間近で聞いていると、とても嫌な想いをするのがこれでしょう。
なぜ嫌がられるかというと、あの「チッ!」という舌を鳴らす態度に、相手へのストレートな感情(自分の不甲斐なさ?)が込められているからです。
「怒りがこみ上げているんだろうな」とか、「イライラしてるのかも」というプレッシャーを相手に与えてしまうでしょう。実際、怒りを滲ませた意思表示なのかもしれません。
口論をするほどではないけど、「こんなに気分を悪くしてるんだよ」ということを態度で示唆しているのです。
大声をあげる
どんな理由があるにせよ、絶対にあってはならないのがオフィス内で大声をあげることです。これはいわゆるパワハラの類と思っても差し支えありません。
間違いなくオフィスの空気が固まり、険悪な雰囲気になってしまいます。
大声を浴びせられた当人も相当にショックだと思いますが、オフィス全体の士気も下がってしまいますね。特にオフィスのような共有空間でそんなことが起きると業務にも深刻な影響が出る可能性があります。
士気を下げるだけでなく、それ以降社内のやりとりも妙にぎくしゃくしてしまうかもしれませんね。人によっては気持ちが萎縮したり動揺が起きることも充分に考えられるでしょう。
名前で呼ばない
「おい、ちょっとこれやってくれないかな」
たまに上司が部下に物事を依頼する場合、こんなやりとりするのを聞いたことありませんか? 結論から言うと名前で呼ばないのは相手に対して失礼な態度です。
かつて上司が部下を「顎で使う」、なんて表現されることはよくありました…。
でも言われたほうは腑に落ちないですよね。「私ってそんなちっぽけな存在だったの?」とか、「見下されている…」と思われても決して不思議ではありません。
オフィスでのNG行動 深刻度B
- 在職中は行動を共にするのでストレスがかかる
- 作業効率や社員のモチベーションにも大きく影響する可能性
SNSのNG行動
現在もっとも大きな問題となっているのがSNSの迷惑行為です。すでに誹謗中傷は社会問題になっているといってもいいのではないでしょうか。
SNSは何かと便利だし、即座に不特定多数の人と交流できるメリットもありますが、その分リスクが高いのも特徴ですよね。
私たちは何も考えずに気軽に投稿することがあります。しかしその投稿や、コメントなどが人を傷つけたりしないのかを真剣に考える時代を迎えているといえるでしょう。
誹謗中傷
容貌や、性的な指向、発言、思想、政治的な見解の違いなどのさまざまな理由で個人攻撃のターゲットにされるケースが後を絶ちません。
言葉というものは正直で、ネット上の投稿は恐ろしいほど人柄が表れますよね……。たまにXの掲示板を眺めたりしますが、どうしてこんな酷い書き込みができるのかと思うほど、個人を誹謗中傷している投稿に出くわします。
掲示板でこれですから、プライベートなメッセージの交換ではもっと目を覆いたくなるようなやりとりも行われているのでしょう……。
匿名をいいことに何でも言いたいこと、書きたいことを書けると思ったら大間違い。個人攻撃は相手の心を深く傷つけるだけでなく、言葉を使った暴力とまったく同じです。
もしどうしてもコメントを送る場合は、相手の立場を充分わきまえなければならないのは当然でしょう。
心ないコメント
ネット上の誹謗中傷は悪意で人を追い込むものが多いですが、それとは別に、忠告や助言などの良かれと思って上げるコメントが人を苦しませることが往々にしてあります。
「あなたのために言ってあげてるのよ」とか、「こうすべき」「これはおかしい」「間違っている」という調子で、頼んでもいないのに正義を振りかざして説得する人たちです。
固定観念にとらわれやすい人にままあることで、どちらかといえば同調圧力に近いものがあるかもしれません。でも言われたほうはたまりませんよね……。
自分にとって励ましとなる文面であればそれを汲みとることも考えていいかもしれません。しかし明らかに負の要素や湧き上がる感情をぶつけるコメントは無視して差し支えないでしょう。
情報の無断共有
スマホが普及する前の時代、「友人が自分の携帯番号やメールアドレスを知人に教えてしまった」というハプニングを結構な割合で耳にしたものです。
しかしそれは現在ほどSNSの普及が加速していなかったから「ちょっとしたハプニング」で済んだのかもしれません。現在ではどんなに気心が知れた友人であってもそれは許されないでしょう。
「相手に無断で情報共有をしたばかりに深刻な問題に巻き込まれた」という事態が急増しています。
InstagramやFacebookなどにアップする集合写真、友人とのプライベートな写真、関連するメッセージ、動画などはプライバシーを侵害していないかを充分に気をつけて投稿すべきでしょう。
万が一起こりうる事態を考えれば、不安な要素が少しでもある写真や動画はアップしないほうが賢明です。
デマの拡散
災害時などにデマが拡散されると大変なことになります。生活の妨害だけでなく、人々の生命の危機につながる大問題に発展することもあるでしょう。
非常時の情報は何より重要です。そんな時に面白半分でデマ情報を投稿すると、とりかえしがつかないことになってしまいます。
「あれは冗談だったんだよ」は通用しません!
たった一言のつぶやきでも、情報操作をして社会の混乱を引き起こす代償は重いものがあります。
SNSでのNG行動 深刻度A
- 誹謗中傷で受けた心の傷、精神的苦痛は非常に深く重い
- 人間の最も醜い一面が如実に出やすい
ゆとりがあるか・ないかの違い
ここまで電車内や出勤時、オフィス、SNSなどのさまざまなNG行動を見てきました。これらのNG行動を引き起こす原因として共通することがあります。
何だかご存じでしょうか? それは気持ちにゆとりがあるか、ないかの違いですね。
つまり自分を客観的に見つめられるか、見つめられないかということになるのです。自分自身を客観的に見れると相手の立場も尊重するし、決して自分本位になることがありません。
これは社会を安定的に維持したり、魅力ある社会をつくる上でも欠かせない要素なのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
さまざまな場面でのNG行動を見てきましたが、周りが目に入らなくなったり、自分のことだけしか見えなくなると問題が起きやすいようです。
特にSNSでのNG行動はエスカレートしやすく、迷惑行為に直結しやすいことが分かるのではないでしょうか。
情報化時代と言われて久しくなります。そういう意味でも便利なSNSは今後も形を変えながら発展成長することは間違いないでしょう。
そんな中で問われるのは、私たちのゆとりを備えた品格なのかもしれませんね。