2020年の3月からおよそ3年の間、全世界的に新型コロナウィルスによる感染症が大流行して不自由な日々が続きましたね……。
日本では5月に感染症分類の5類に移行してようやくマスク着用が解禁されました。ほっとしたという人も多いことでしょう。
しかしコロナ禍は完全に終結したわけではありませんし、この爪痕はあちこちに残っているのも事実です。
今回はコロナ禍から現在に至るまで世の中がどのように変化したのか、そしてコロナ禍の夜明けはいつになるのかを探っていきます!
コロナ禍以降に変化したこと
コロナ禍になって、これまでとは一体何が変わったのでしょうか? 今後もどれだけの間続くかは定かではありませんが、現在ほぼ定着している生活のかたちを見ることにしましょう。
熱が出たら原則休み
2023年現在も相当数の患者がいますが、2020年4月からのほぼ3年間はコロナウィルス感染が一気に拡大し、ウイルスの脅威が全世界を駆けめぐった期間でした。
特に最初の1年半は基礎疾患のある人や高齢者のかたが重症化しやすく、病院の診療体制も危機的な状況があったことが思い出されます。原則的に病院は発熱が少しでもあると行ってはいけないところのようになってしまいましたね。
もちろん感染拡大防止のために熱が出ると無条件で休まなければならなくなりました。
それだけでなくPCR検査を受けてコロナ陽性か陰性かを判別しなければならなかったのが地味に辛かったですね。
絶えず感染しないためにはどうしたらいいのか……とビクビクしながら生活していた期間でした。
美術館の入場は時間予約制に
2020年コロナ禍以降は美術館や博物館は長い間休館しているところが多かったように思います。感染が落ち着いてから再開したものの、ほとんどの施設は時間単位の予約制に移行していることがわかりました。
残念ですが人混みを避けるには仕方ない施策ですよね……。
人数のバランスを一定に出来るメリットはあるものの、気が向いたときに行けるというこれまでのような手軽さや入場しやすさはなくなってしまったという感じかもしれません……。
病院のマスク着用が義務に
病院もマスクを装着しての来院が基本原則です。
2023年に感染症の5類分類に移行後、他の施設ではマスクを取り外しても特に問題にはなりませんが、病院だけは別ですね。
これは未然に感染を防ぐことが最大の目的なのと、さまざまな疾患や病気を抱えて集まる院内の感染リスクを抑えるためには無条件でマスク着用が望ましいということなのでしょう。
溜まり場は撤去される
コロナ禍前までは施設の空きスペースや余剰空間などで休養をとったり、のんびりできたものです。
しかしコロナ禍以降は原則的に建物の内部のベンチや席、空いたスペースはすべてといっていいほど撤去されました。つまり疲れて休もうと思っても、座る椅子やスペースがない状況なのです。
なんでもないようですが、実はこれが心身のバランスを整えるのにはとても大きな役割を果たしてくれていたのです。
生活には直接的には影響しないが、無いと殺伐とした雰囲気になってしまいやすい余剰空間は、大切な心の拠り所のひとつだったといってもいいでしょう。
ゆとりが激減・ストレスの急増
気になったのは、2020年に感染が猛威を振るようになってから、街中からゆとりや潤いがすっかり失われたことです。
「自粛期間」、「おうち時間」といえば聞こえはいいですが、要するに国民に我慢と忍耐を強要すること……。ゴールが見えていればそれも容易で可能だったでしょう。
しかし光が見えない状態で自粛を要請されることほど苦しいことはありません。このことで生活が一変した人やライフプランが崩壊した人も少なくなかったのでしょう……。
そしてそれは見えないボディーブローのようにわたしたちの心と身体を蝕んでいったのではないでしょうか。
それまではあたりまえだった街中の賑わいが一気に消滅してしまいました。異様な光景だったと思います。
セルフレジの急増
食料品店やドラッグストア、コンビニにスーパー、ファミレス…。コロナ禍以降に急増したのは何といってもセルフレジです。
セルフレジは接触を避けたり、感染のリスクを抑えるために導入されたケースがほとんどですよね。
これまでカード決済をためらってきたお店でもカード決済やQRコード決済を導入するお店が急増しました。
ただし決済方法が豊富になったのはいいのですが、セルフレジを導入する事で、逆に手間になったり、操作がわかりにくいというケースも少なくありません。
今後セルフレジが定着するためには、使い勝手が大幅にアップしたり、ストレスが解消されないと頭打ち状態になるでしょう。そもそものお店の売上にも影響しそうな気がしてならないですね…。
コロナ禍で得た教訓
この3年は大変な期間でしたが、このような特殊な期間を通じて明確になった教訓も少なくありません。それではコロナ禍で得られた教訓を見てまいりましょう。
見えない敵ほど怖いものはない
漠然とですが、世の中で一番怖いのは独裁政治を行うリーダーがいる国ではなく、膨大な被害を引き起こす自然災害でもない……、「見えない敵」だということを常々思っていました。
それが今回のコロナ禍で「目に見えない敵」が何よりも怖いと痛感させられることとなったのです。
なぜなら自然災害に対しては無力な人間ですが、避難や救済など、それ相応の対策を可能な限りとることができます。
しかし「見えない敵」にはどうすることもできません。対策すら立てることができないのです。数週間での驚くほどの感染爆発がそれを顕著に物語っているといえるでしょう。
したがって感染リスクに対して当面は「見越し対策」でもとるしかありません。あらかじめ予測を立てて危険と思われる行為や活動はストップするなどの対策をとるしかないのです。
危機意識の芽生え
最近の傾向として強く感じるのが、これまでの経験を超えた自然災害が起きる頻度が高いということですね。
気候変動によって日本では猛暑があたりまえになってきたし、線状降水帯のような洪水現象が頻発するようになってきました。
ハワイ・マウイ島の大火災も干ばつ状態の土壌に異常に乾燥した空気や強風が災いしたと言われていますが、今後も地球環境の温暖化が進めば同じようなことは続出するでしょう。
それは空気中に浮遊するさまざまな微粒子や物質にも大きな影響をもたらしています。
物質が何らかの化学反応を起こして有毒化したり、突如としたバランスの変化で細菌やウイルスの発生源とならないとも限らないのです。
ここ数年、特にコロナウイルスの発生によって、誰もが身近で起こりうる非日常の現実に、危機意識を持たざるをえない状況になったのは間違いないでしょう。
健康意識の飛躍的な向上
自分の身体は自分で責任を持つ。
今回のコロナ禍で発想が変わったという人は少なくないでしょう。健康に対する意識が飛躍的に向上するきっかけになった人も多いかもしれません。
なにしろ体調を崩しても簡単に診察を受けられない期間が長期間続きました。何が身体にとってプラスなのか、必要なのかを本気で考える人も増えてきたのは間違いないですね。
Youtubeチャンネルで健康をテーマにした動画をアップする人が急増したのもの、その端的な傾向を表しているといっていいかもしれません。
健康が脅かされているという世相が続く限り、今後もこの傾向はますます増加の一途を辿っていくのでしょう……。
初期段階の徹底対処
2020年からのコロナ禍は中国・武漢の研究所発だということが取り沙汰されてきました。恐らくそれは事実なのでしょう……。
人間が起こす勃発的な事故は時としてやむを得ない場合もあります。今回も最初はそうだったのかもしれません。しかし問題はそれヘの対応があまりにも杜撰だったことでしょう。
国家的な機密情報が漏れると厄介なことになるとでも思ったのでしょうか…。こともあろうに隠蔽に走ったことが大きな過ちのひとつです。
そして隠蔽に走ったことで初期の感染対策が後手後手になってしまったのは容易に想像できます。また感染対策がどこまで適切だったのかという疑問も頭から離れません。
このことからも仮に問題が起こったとしても、最初の段階で出来ることを最大限対処することは問題を最小限にくいとめる絶対条件なのではないでしょうか。
人と触れあうことの大切さ
分かりきっていたことではありますが、コロナ禍を通じて改めて人と触れあうことの大切さを痛感した人が多かったのではないでしょうか……。
「リモートで話せばいいんじゃないの?」という声も聞こえてきそうですが、実際はそんな簡単なものではないですよね。
実際に会って話すのと画面越しに話すのとではやはり空気感、臨場感が違いますし、細かなニュアンスの伝わりかたが段違いです。
何より会って話すことによって心を通わせることもできるし、気持ちをしっかり共有できます。
現代はネット社会と言われていますが、リアルにコミュニケーションをとることの大切を再認識させられたこの数年だったように思います。
終わりはいつなのか
コロナ禍の本当の終わり、夜明けのときはいつになるのでしょうか?
感染症には明確な終わりはないといいます。何を持って終わりなのかというと、やはり価値観の問題が大きく左右するかもしれませんね。
人の記憶から忘れ去られたとき
人は何か大変な災害や事件があると、その出来事を忘れてはならないし、風化させてはいけないと言いますよね。
でも出口が見えないコロナ禍については、ほとほと嫌になってしまったというのが正直な心境です。
終わりが見えない嫌な出来事が何年も続くと、「早く忘れたい」、「早く記憶から消したい」というたとえようのない強迫観念が強く働くものですね。ダメージというよりもトラウマに近い感覚ともいえるでしょう。
しばらくはモヤモヤしたコロナ禍によるトラウマ状態が続くのかも……。でも世の中が落ち着きを取り戻して気持ちのゆとりさえ戻ってくれば、新たな未来に踏み出していけるかもしれませんね。
コロナの終焉のひとつは、人の心の傷が癒やされたり、記憶から忘れ去られたり、トラウマから解放されるときと考えることができるのではないでしょうか。
生活に不自由さがなくなったとき
コロナ禍になってからは何をするにも億劫になり、腰が重くなってしまいました。
よく足を運んでいた映画館ですが、この3年間は一度もチケットを購入してないし、映画館に足を運んでません。舞台やコンサートも同様です。
なぜなのかと考えてみると、思い当たることがありました。
それは観に行っても手放しで楽しめないのでは…という残念で屈折した想いです。また、実際に行って他の人から感染したり、感染させたら後が大変という恐怖感ですね。
非常事態のため仕方ないのですが、何をするにしても何かしら不自由さや窮屈感が伴ったのです。
5月に国がコロナウイルスを5類に移行するという発表がありました。同時にマスク装着が必須ではなくなったことで、ようやく少しだけ重い荷物を下ろした感があります。
しかし今もなお、やっかいで面倒な事例は枚挙にいとまがありません。
コロナ禍の夜明けは、日々の生活で窮屈な感覚、不自由な想いが消えてこそやってくるといっていいでしょう。
治療薬が認可されたとき
ワクチン接種が大切なことは何度も取り上げられてきました。しかしワクチンには不確実な要素も多々あります。
特にコロナウイルスは世界的に急拡大した新種のウイルスだけに、製薬会社が急いでワクチン開発に向かわざるを得ない事情がありました。
インフルエンザにはタミフルやイナビル、ゾフルーザなど多彩な治療薬がありますが、それぞれ治験や検証などに相当な時間をかけて開発され認可された薬ばかりです。
コロナウイルスの治療薬も変異を重ねるウイルスの特性からして、さまざまな症状や体質に応じた多種多様な薬の開発が願われるかもしれませんね。そして治療薬が豊富に出揃ったときこそ、はじめて夜明けが来たといえるのかもしれません。
開かれたデジタル社会の実現ヘ
デジタル技術が現代社会が潜在的に抱える不安や混乱を収拾できるとしたら、誰もがそれに多くの希望を持たざるを得ないでしょう。
人間の叡智にAI解析をはじめとするデジタル技術の連携がスムーズになされたら、異常気象、感染症対策、高齢化社会などの難しい問題に柔軟に対応できる道が開けるかもしれませんね……。
DX化による暮らしの変革
現代はデジタル技術を最大限に駆使して暮らしを便利にしたり、快適な環境をつくることが求められる時代となりました。
特にデジタルトランスフォーメーション(DX)は、「デジタル技術を利用することで、人々の生活をあらゆる面で価値あるものへ質的転換させる」特徴があります。
一般企業でもDXは発想の原点になりつつあるといえるでしょう。
これまでのようにアナログ媒体をデジタル化するだけでなく、人間の能力では限界と思われる作業をそのままデジタル技術に置き換えていくことこそ効率的です。
また衣食住におけるさまざまな課題を解消したり、気持ちよく生活できる暮らしを生み出すシステムが構築されればデジタル技術ヘの人々の関心や意識は大きく変わっていくでしょう。
少子高齢化が進み、就労人口が年々先細り傾向の激しい日本。日本が抱える大きな課題、人手不足を解決するために、今やDXは欠かせないものになりつつあります。
感染源の自動感知システムの開発
前項で細菌やウイルスを「見えない敵」と言いましたが、そうはいっても今後も無防備状態のまま感染を拡げるわけにはいかないでしょう。
今回のコロナウイルスのような新種のウイルスや、インフルエンザウイルスなどの病原菌を検出する自動検知システムの技術開発に強いニーズが生まれたのは言うまでもありません。
とにかく、「使いやすい」「誰でも使える」「結果がすぐ分かる」「新種のウイルスに対応できる」などのように多くのメリットをもつ検知器やセンサーの開発は急がれるテーマでしょう。
それは、感染症と私たちのつきあい方を決定的に変えるターニングポイントになると言っても過言ではありません。
まとめ
コロナ禍は私たちの生活や意識の中に潜在的にくすぶっていた不安や恐怖が、感染爆発という引き金をきっかけに現実のものとなって現れてしまったパニック現象といえるかもしれません。
世界中で多くの犠牲者を出す中で、人間の無力さやたとえようのない切なさを感じたのも事実です。
しかし一方ではあらゆる症例からさまざまな教訓が得られるようになり、問題が明確になってきました。
今後は生活の中で問題に向き合いながら、人間らしさを取り戻すことができたとき、次のステージへとステップアップしていけるのでしょう。